STORYオーナー内海のストーリー

誕生の地、四国、徳島

警察官の父の赴任地、西之口官舎にて、昭和31年9月13日この世に生を受けました。
戦後10年余りとは言え、生活は厳しいうえ、7つ上に生まれた兄の相当ないたづらに、夫婦は悩んでいたそうです。

母がいきつけの美容室で「来年は60年に一度の好運な年回り、赤い猿年」と知り、生まれたのが私。転勤引っ越しの重責、結核の病などで二人の水子との別れがあっただけに、7年ぶりのお産は不安でいっぱいだったことでしょう。しかしそんな心配をよそに、なんと4000グラムを超えた身体で元気に誕生しました。

そんな、母が断然勇気付けられたのは、一冊の暦!60年に一度の強運、赤い猿年回りに、背中を押してもらっての誕生だったようです。

幼少期〜喘息のと闘い〜

この時代の昭和は、毎年のように父の所得が上がり、日本中が来年はさらに良くなると信じ、ひたすらに働いていました。こんな子どもでも、景気が良く町中が賑わっているのを日々感じておりました。

しかし私の体調は、重度の小児喘息の真っ只中で最悪な状態・・・。

死の淵を覗き込むような、発作。副作用で苦しんだ、砂を噛むような挫折だらけの治療の毎日。効果もなく虚しく続く治療に心まで沈みきるあの日の記憶。忘れることはないでしょう。

この体験が、後に出会う「補完代替医療」への好奇心に繋がりました。

ーーーー
父方のいとこ達と、阿波おどりを見物している写真です。
私は向かって左側!元気そうに見えるでしょう?

実はこの頃、喘息真っ盛り。発作に喘ぎ、もがき、薬付け、病院付けの毎日でした。
「明日は生きてるかな?」「息出来てるかな?」と、心も体も真底疲弊していました。

正直、両親は、職業にも、結婚にも、あきらめなければ成らないのでは、、一生、実家暮らしで終えるのでは、、心を痛めて居たそうです。子供心でも、私も、そう、思わずは、要ら無いほどの重度の喘息だったのです

危機改正

暗い毎日から抜け出せたかも知れないと、思った写真がこれです。

母方の従姉妹、従兄弟と夏休み!
静岡、春野町、熊切での川遊び。一番背が高い真っ黒な男女が私です。

相変わらず偏食はありましたが、薬や点滴ましてや注射でもなく、「汗をかくほど元気になっていく」のが、子どもの私でも感じ取る事ができました。

時は流れ昭和50年

静岡市の紺屋町、老舗「金華美容室」にて、美容修行がスタートしました。
初代大先生、上山きん先生のご推挙で、京都本拠地のFBC福谷伸先生のヘアーショーに、21歳で出演!思い出深い日になりました。

美容師のルーツ

写真を見ると髪結い初代祖母が、嬉しそうに語らいでいますね。
みんな元気で、いい時代だったなあと、昭和の小さな写真を眺めながらひしひしと感じています。

結婚と開業

記念のアイヌ衣裳で、ご機嫌な二人!私の修行終了を待ち構えての結婚。
本番の白無垢、和装、紋付き袴より、二人とも、こっちの方が似合っているのが滑稽です。
ここから仕事に子育てに波瀾万丈の人生が始まりました。

2人の息子の存在

機内で変顔をしている息子!空手のオーストラリア大会に出かけ時の写真ですね。
長男が5年生、次男が1年生だったかな?

この長男は現在理学療法士で、パートナでも講師として運動指導、整体等を手伝ってくれています。
次男は、パートナの役員を主人の代わりに支えてもらっています。

主人は早くに旅立たれてしまいましたが、2人の息子の存在にとても助けられています。

可愛い孫たち

今やこの孫達も、高1と小6になりました!お年頃なので、子供の時の写真を紹介させて頂きました。
続く!繋がる!は、人生のお楽しみ。雨風吹こうがわめこうが、それもこれも、必要な経験ですね。

現在の私

一番しゃべるオーナーそれが、私です!
踊る阿呆に見る阿呆♪同じ阿呆ならおどらなソンソン♪
まさにこのふるさと阿波おどりの合いの手が、心地良く心の奥に響きます。

日々の努力は怠りません!皆さん、会いに来て下さいね。
ご来店お待ちしております!